リモコン片手の感想帖 第十八幕『ザ・ラストハウス』を観て──名前のほうが少数派だった

リモコン片手の感想帖
  • 公開年2026年
  • 監督ルイ・ルテリエ
  • 上映時間1時間52分
  • ジャンルスリラー

この記事は約5分で読めます

※ゆっくり読んでも、紅茶1杯分です。

はじめに

※本記事には映画『ザ・ラストハウス(The Last House)』の
 ネタバレを含む感想と考察が含まれています。
 まだご覧になっていない方は、ぜひ映画を観たあとに戻ってきてください。

※ちなみに今回は、例によってお酒を、ということがありませんでした。
 休日の昼間に、水を飲みながら観ています。
 つまり脳は完全に使える状態だったはずなのですが、それでも理解が追いつきませんでした。あしからず。

ホラーだと思って再生しました。途中からサバイバルの顔になり、最後まで観ると、どちらとも少し違うものが残りました。

作品について

監督はルイ・ルテリエ。『トランスポーター』や『インクレディブル・ハルク』を撮ってきた人です。派手なアクションの側から来た監督が、家から一歩も出ない映画を撮っている。その落差が、まず面白いところだと思います。

脚本はマシュー・ロビンソン。主演はグレタ・リーとワグネル・モウラ。上映時間は1時間52分で、ジャンルはスリラーです。舞台がほぼ一軒の家だけという、いわゆるワンシチュエーションものにあたります。

家の中だけで二時間近く持たせる、というのは相当に難しいことだと思います。逃げ場がないぶん、退屈もごまかせません。そこは最後まで持っていました。私が分からなかったのは、話の作りではなく、意味のほうです。

あらすじ

ある雨の日、一家が家から出られなくなります。玄関のドアも窓も開かず、壊すこともできない。理由は分かりません。

助けも来ないまま、家族は家そのものを生活の拠点に作り変えていきます。そうして長い年月が過ぎていく。そして雨の中を、何かが歩いてきます。

冒頭の一文が、この映画のすべてだった気がする

本編が始まる前に、文字が出ます。地味な演出です。ふつうなら読み飛ばすところです。

調べてみたら、アーサー・C・クラークの言葉でした。

How inappropriate to call this planet Earth when it is quite clearly Ocean.

アーサー・C・クラーク

大意は「この星を地球と呼ぶのは的外れだ。どう見ても海なのだから」。字幕の正確な言い回しまでは覚えていないので、原文のほうを置いておきます。

言われてみればその通りで、陸が三割、海が七割です。陸のほうが少数派を指している。

それと、よく言われる話ですが、海の研究は宇宙の研究より進んでいないそうです。足元のほうが遠い。雨だってもとをたどれば海の水が巡っているだけで、けっきょく起点は海にあります。

この一文を先に置いた時点で、映画はもう答えを言っていたのだと思います。私が気づくのが遅かっただけで。

ちなみにクラークは『2001年宇宙の旅』を書いた人です。宇宙をあれだけ書いた人が、海のことをこう言っている。そこがなんだかおかしくて、少し好きになりました。

雨は、閉じ込めていたのか、守っていたのか

ある日、家から出られなくなります。ドアも窓も開かず、壊すこともできない。一家はそのまま家の中で暮らし続けることになります。

観ているあいだ、ずっと引っかかっていたのはここでした。

あれは、閉じ込められていたのでしょうか。それとも、守られていたのでしょうか。

外の世界が水没していったことを思えば、家の中にいたから助かった、とも言えます。だとすると雨は牢屋ではなく、傘だったことになる。閉じ込めるという行為が、いちばん確実な保護だった、ということになります。

でも、そう受け取ってしまうと、今度は別のことが分からなくなります。なぜこの一家だったのか。誰が決めたのか。そこは最後まで説明されません。

家族の話かと思ったら、慈悲の話だった

途中までは、家族の映画として観ていました。閉じ込められた四人が、少しずつ役割を持ち、家をひとつの拠点に作り変えていく。よくできています。

ただ、最後に残るのはそこではありませんでした。

この映画が触れているのは、たぶん慈悲の心のほうです。相手が何者か分からず、言葉も通じず、こちらを害するかもしれない。それでも見逃す、あるいは手を出さない。そういう選択の話に見えました。

家族は大事です。それは大前提として置かれていて、映画の主題はもうひとつ外側にある。そこは伝わりました。

伝わったのですが、腑には落ちていません。

正直に言うと、何が言いたいのか最後まで分からなかった

ここは格好つけずに書きます。分かりませんでした。

雨の中を歩いてくる存在がいます。私は勝手に「レインマン」と呼んでいました。彼らの狙いが何だったのか、最後まではっきりしません。

慈悲の心が、彼らに届いたのでしょうか。届いたから見逃されたのでしょうか。そう読むこともできますが、そう読んでいいと言い切れる材料もありません。

そして一家は解放され、水に覆われた世界へ出ていきます。船が出る。あの終わり方は、どう見ても続きがある顔をしています。続編を作る気だな、と思いました。思いましたが、それはそれで観たいので、まんまと乗せられています。

一度で受け取りきれた気がしません。これはもう一度観る必要がある映画です。しかも今度は、ちゃんと水を飲みながら。いや、今回も水だったのですが。

水族館で、マグロのほうが圧倒的にでかかった

ここからは映画の話というより、観たあとに考えていたことです。

人間は陸の上ではかなり大きな顔をしています。覇権を握っている、と言ってしまってもいいと思います。

ただ、海と比べると話が変わります。水族館に行ったときのことを思い出しました。マグロのほうが圧倒的にでかい。サメもでかい。あの水槽の前に立つと、こちらは完全に見物人です。

そう考えると、人間が海の世界から逃げてきたのは、案外正しい判断だったのではないでしょうか。勝てないところからは早めに離れる。生き延びる作戦としては、かなり優秀です。

七割から撤退して、三割で暮らしている。そう書くと敗走のようですが、その三割でここまで手広くやっているのだから、悪くない身の振り方だと思います。

おわりに

この映画は、ホラーとして観るには静かで、サバイバルとして観るには問いが多い。どちらにも寄りきらないところが、たぶん好き嫌いの分かれ目です。

私は、この一家がこのあとどうなるのかを見たい、という気持ちで最後まで観ていました。答え合わせをしたいというより、行方が気になる。そういう種類の映画でした。

それで、もし本当に世界が水に覆われたらどうするか、という話ですが。

正直、いまから海に戻って暮らせる気がまったくしません。課題はやはりえら呼吸です。これさえ解決すれば七割が使えるようになるわけですが、逆に言えば、それ以外に解決すべきことが多すぎる。

泳ぐほど得意ではないけれど、沈むほど不器用でもない。そのくらいの位置で、私はしばらく陸にいます。

とりあえず今日は、コップの水を飲み干すところから始めます。もとをたどれば、これも海だそうなので。

Afterwords

この記事の余韻

あなたには、閉じ込められたことで守られた経験がありますか。

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