- 公開年2026年
- 監督ルイ・ルテリエ
- 上映時間1時間52分
- ジャンルスリラー
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※ゆっくり読んでも、紅茶1杯分です。
はじめに
※本記事には映画『ザ・ラストハウス(The Last House)』の
ネタバレを含む感想と考察が含まれています。
まだご覧になっていない方は、ぜひ映画を観たあとに戻ってきてください。
※ちなみに今回は、例によってお酒を、ということがありませんでした。
休日の昼間に、水を飲みながら観ています。
つまり脳は完全に使える状態だったはずなのですが、それでも理解が追いつきませんでした。あしからず。
ホラーだと思って再生しました。途中からサバイバルの顔になり、最後まで観ると、どちらとも少し違うものが残りました。
作品について
監督はルイ・ルテリエ。『トランスポーター』や『インクレディブル・ハルク』を撮ってきた人です。派手なアクションの側から来た監督が、家から一歩も出ない映画を撮っている。その落差が、まず面白いところだと思います。
脚本はマシュー・ロビンソン。主演はグレタ・リーとワグネル・モウラ。上映時間は1時間52分で、ジャンルはスリラーです。舞台がほぼ一軒の家だけという、いわゆるワンシチュエーションものにあたります。
家の中だけで二時間近く持たせる、というのは相当に難しいことだと思います。逃げ場がないぶん、退屈もごまかせません。そこは最後まで持っていました。私が分からなかったのは、話の作りではなく、意味のほうです。
あらすじ
ある雨の日、一家が家から出られなくなります。玄関のドアも窓も開かず、壊すこともできない。理由は分かりません。
助けも来ないまま、家族は家そのものを生活の拠点に作り変えていきます。そうして長い年月が過ぎていく。そして雨の中を、何かが歩いてきます。
冒頭の一文が、この映画のすべてだった気がする
本編が始まる前に、文字が出ます。地味な演出です。ふつうなら読み飛ばすところです。
調べてみたら、アーサー・C・クラークの言葉でした。
How inappropriate to call this planet Earth when it is quite clearly Ocean.
アーサー・C・クラーク
大意は「この星を地球と呼ぶのは的外れだ。どう見ても海なのだから」。字幕の正確な言い回しまでは覚えていないので、原文のほうを置いておきます。
言われてみればその通りで、陸が三割、海が七割です。陸のほうが少数派を指している。
それと、よく言われる話ですが、海の研究は宇宙の研究より進んでいないそうです。足元のほうが遠い。雨だってもとをたどれば海の水が巡っているだけで、けっきょく起点は海にあります。
この一文を先に置いた時点で、映画はもう答えを言っていたのだと思います。私が気づくのが遅かっただけで。
ちなみにクラークは『2001年宇宙の旅』を書いた人です。宇宙をあれだけ書いた人が、海のことをこう言っている。そこがなんだかおかしくて、少し好きになりました。
雨は、閉じ込めていたのか、守っていたのか
ある日、家から出られなくなります。ドアも窓も開かず、壊すこともできない。一家はそのまま家の中で暮らし続けることになります。
観ているあいだ、ずっと引っかかっていたのはここでした。
あれは、閉じ込められていたのでしょうか。それとも、守られていたのでしょうか。
外の世界が水没していったことを思えば、家の中にいたから助かった、とも言えます。だとすると雨は牢屋ではなく、傘だったことになる。閉じ込めるという行為が、いちばん確実な保護だった、ということになります。
でも、そう受け取ってしまうと、今度は別のことが分からなくなります。なぜこの一家だったのか。誰が決めたのか。そこは最後まで説明されません。
家族の話かと思ったら、慈悲の話だった
途中までは、家族の映画として観ていました。閉じ込められた四人が、少しずつ役割を持ち、家をひとつの拠点に作り変えていく。よくできています。
ただ、最後に残るのはそこではありませんでした。
この映画が触れているのは、たぶん慈悲の心のほうです。相手が何者か分からず、言葉も通じず、こちらを害するかもしれない。それでも見逃す、あるいは手を出さない。そういう選択の話に見えました。
家族は大事です。それは大前提として置かれていて、映画の主題はもうひとつ外側にある。そこは伝わりました。
伝わったのですが、腑には落ちていません。
正直に言うと、何が言いたいのか最後まで分からなかった
ここは格好つけずに書きます。分かりませんでした。
雨の中を歩いてくる存在がいます。私は勝手に「レインマン」と呼んでいました。彼らの狙いが何だったのか、最後まではっきりしません。
慈悲の心が、彼らに届いたのでしょうか。届いたから見逃されたのでしょうか。そう読むこともできますが、そう読んでいいと言い切れる材料もありません。
そして一家は解放され、水に覆われた世界へ出ていきます。船が出る。あの終わり方は、どう見ても続きがある顔をしています。続編を作る気だな、と思いました。思いましたが、それはそれで観たいので、まんまと乗せられています。
一度で受け取りきれた気がしません。これはもう一度観る必要がある映画です。しかも今度は、ちゃんと水を飲みながら。いや、今回も水だったのですが。
水族館で、マグロのほうが圧倒的にでかかった
ここからは映画の話というより、観たあとに考えていたことです。
人間は陸の上ではかなり大きな顔をしています。覇権を握っている、と言ってしまってもいいと思います。
ただ、海と比べると話が変わります。水族館に行ったときのことを思い出しました。マグロのほうが圧倒的にでかい。サメもでかい。あの水槽の前に立つと、こちらは完全に見物人です。
そう考えると、人間が海の世界から逃げてきたのは、案外正しい判断だったのではないでしょうか。勝てないところからは早めに離れる。生き延びる作戦としては、かなり優秀です。
七割から撤退して、三割で暮らしている。そう書くと敗走のようですが、その三割でここまで手広くやっているのだから、悪くない身の振り方だと思います。
おわりに
この映画は、ホラーとして観るには静かで、サバイバルとして観るには問いが多い。どちらにも寄りきらないところが、たぶん好き嫌いの分かれ目です。
私は、この一家がこのあとどうなるのかを見たい、という気持ちで最後まで観ていました。答え合わせをしたいというより、行方が気になる。そういう種類の映画でした。
それで、もし本当に世界が水に覆われたらどうするか、という話ですが。
正直、いまから海に戻って暮らせる気がまったくしません。課題はやはりえら呼吸です。これさえ解決すれば七割が使えるようになるわけですが、逆に言えば、それ以外に解決すべきことが多すぎる。
泳ぐほど得意ではないけれど、沈むほど不器用でもない。そのくらいの位置で、私はしばらく陸にいます。
とりあえず今日は、コップの水を飲み干すところから始めます。もとをたどれば、これも海だそうなので。
Afterwords
この記事の余韻
あなたには、閉じ込められたことで守られた経験がありますか。

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