- 作者エドワード・ホッパー
- 制作年1942年
- 技法油彩・キャンヴァス
- 所蔵シカゴ美術館
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※ゆっくり読んでも、紅茶1杯分です。
アメリカの画家の展示が、このごろ日本にもよく来ます。
ヨーロッパの絵とはどうも感性がちがっていて、その違いが私にはおもしろい。
※本記事は、筆者が公開情報をもとに個人的に調べ・考えた内容を含みます。
専門的・学術的な断定を目的としたものではありません。
※この記事には作品の画像を載せていません。
『ナイトホークス』は著作権の扱いに議論が残っているため、
所蔵館であるシカゴ美術館の公式ページへのリンクにとどめます。
→ Nighthawks|The Art Institute of Chicago
「夜鷹」ではなく、「夜更かしの人たち」
ナイトホークス、と読みます。そのまま訳せば夜鷹です。鳥の名前です。
ただ調べてみると、この言葉には「夜更かしをする人」「夜に出歩く人」という意味もあるそうです。夜の遊び人、と言ってもいいのかもしれません。邦題が訳されずに『ナイトホークス』のままなのは、たぶん訳しようがなかったからだと思います。「夜更かし組」では、どうにも雰囲気が出ません。
鳥の名前でもあり、人のことでもある。この二重のままにしておく感じが、絵の居心地とよく合っています。
印象派を見慣れた目には、この「切り取り方」が新しい
まず色がいい。夜の暗さと、店の中の白い明かり。あの光だけが、通りに漏れています。
それと、切り取り方です。印象派の絵をいくつか見てきたあとにこれを見ると、やっていることがずいぶん違うと感じます。印象派が描こうとしていたのは、光そのものや、移り変わっていく空気のほうでした。ホッパーは、ある一場面をぱちりと切り取って、そこで止めています。
映画のワンカットのようだ、と言うと安っぽくなりますが、実際そう見えます。この絵より前があり、この絵より後がある。その途中の一枚を見せられている感じがします。
教養は足りません。美術史の言葉で説明はできません。でも、何かが違うと分かるくらいには、目は動きます。
私が見ているのは、背を向けた帽子の男だ
ダイナーに客が三人、店員がひとり。
それだけの絵なのですが、私の目はいつも同じところに行きます。手前で背を向けている、帽子の男です。
おしゃれな絵として飾られていることが多い一枚だと思います。でも、やっていることは案外いつものことです。ふとカフェに入ったら、まわりがカップルばかりで、自分だけがひとりだった。あれです。あの居心地の悪さが、そのまま壁に掛かっている。
この絵には、女性を連れた男性がいます。そのとなりに、ひとりの男がいます。並べて置かれている以上、これは対比なのだと思います。
しかも、こちらに背を向けている。顔が見えないぶん、想像するしかない。背中だけで孤独を引き受けてくれている、とでも言えばいいのでしょうか。ずるいくらい効いています。
この絵の続きを、勝手に考えてみる
ここから先は、完全に私の想像です。根拠はありません。
店員は、手前の男のことも気にかけていると思います。ちょうど女性と二人できた男性に何か話しかけられて、それに答えているところに見える。だからいまは、そちらを向いている。
女性は手に何か持っています。私にはお札のように見えました。ただ、ここは見る人によって言うことが違うようで、サンドイッチだという人もいれば、マッチ箱だという人もいるそうです。私の目には、支払いの用意に見えた、というだけの話です。
連れの男性は、右手でたばこをつまんでいます。まだ帰る気配ではない。
そして手前の男は、水のグラスに手をかけています。
……いや、待てよ、と思いました。
飲むものを飲み終えて、口直しに水を一口。それからそろそろ、と席を立つ。だとすると、先に店を出るのは二人組ではなく、手前の男のほうではないか。
最初は逆だと思っていました。女性を連れた男性が先に帰り、ひとりの男が残される。そのほうが話としてきれいだからです。でもグラスに気づいてから、順番がひっくり返りました。見るたびに入れ替わります。
どちらが正しいのかは、分かりません。分からないままのほうが、たぶん長く見ていられます。
通りの店は、もう閉まっている
窓の外を見ると、向かいの店はもう終わっています。人もいません。明かりが灯っているのは、この店だけです。
その中を、男はひとりで歩いて帰るのだと思います。
これが、また格好いい。寂しい場面のはずなのに、みじめには見えません。しょんぼりしているわけでもなく、かといって強がっているわけでもない。ただ、そういう夜だった、という顔をして帰っていく。
続きが気になる絵というのは、そう多くありません。この一枚は、そのうちの一つでした。
最後に
ああいう帽子を、私もかぶってみようかと少し思いました。似合うかどうかは別として、ああいう夜の帰り道には、たぶん必要な小道具です。
ただ、そこまで背伸びしなくてもいいのかもしれません。
私は紅茶を一杯いれて、湯気が立つのを眺めているだけで、わりと満ち足りています。夜更かしの人たちの側には、たぶん行けません。行けなくても、こうして絵の続きを勝手に想像しているぶんには、十分楽しい。
背伸びするほどではないけれど、何も思わないほど鈍くもない。今夜もそのくらいの位置で、湯気を眺めています。
Afterwords
この記事の余韻
あなたは、この絵のどの人物に、いちばん長く目を止めましたか。

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