はじめに(※ネタバレ注意)
本記事にはNetflix作品『フランケンシュタイン(Frankenstein)』のネタバレを含む感想が記載されています。
まだ未視聴の方は、本編をご覧いただいてから読んでいただくとより楽しめるかと思います。
ちなみに今回の鑑賞はウォッカ片手。視界が若干ぼやけていた(寝ていた)可能性がありますが、その点はどうか温かくお許しください。
簡単なあらすじ
1857年、北極探検中のデンマーク海軍ホリソント号は氷に閉じ込められ、乗組員は奇妙な“怪物”に襲撃される。
乗っていたヴィクター・フランケンシュタインは、船長アンダーソンに「自分が怪物の創造主である」と告白し、怪物誕生の過程と、その後に起きた悲劇を語り始める。
物語はフランケンシュタイン博士と“創られた存在(怪物)”の視点を交互に描く構造。
博士の罪と、怪物の苦悩が重なる物語である。
感想──怪物の“視点”に心をつかまれた
率直に言って、純粋に面白かった。
「創造主と創られた者」という古典テーマをベースにしながら、怪物の内面にしっかり光を当てている点がとても良い。
怪物の語りは悲しみを含み、怒りがあり、そして“生まれてしまった存在”の苦悩そのもの。
怪物視点の描写は、まさにこの作品の核心だと思う。
博士側の視点では恐怖と後悔、罪悪感が描かれ、怪物側の視点では孤独と怒り、理解されたい願いが描かれる。
同じ出来事を“創造主”と“被造物”の両方向から見せてくれるため、物語の見え方がどんどん変わっていく。
父と子になろうとした二人
特に印象に残るのは終盤の二人の関係性。
怪物は博士を「父」と呼び、博士も怪物を「息子」と称する。
そこには憎しみだけではなく、どうしようもない絆のようなものが生まれていた。
博士は途中まで「自分が創った化け物を葬り去りたい」一心だったはずなのに、最後は逆に、怪物の未来を願う。
「生きていけ」と語る博士の姿は、もはや創造主ではなく“親”だった。
怪物もまた博士を許し、蟠りを解き、前へ進むことを選ぶ。
怪物は怪物でありながら、それでも心を持ち、成長する存在だと示されたラストは静かに美しい。
視点の切り替えが光る作品
ホラーでもなく、単なる怪物映画でもない。 テーマは“命の責任”であり、“親子関係”であり、“存在理由を探す旅”。
古典『フランケンシュタイン』を新しい角度で描き直し、現代的な問いを投げかけてくる良い映画だった。
終わりに
最後にひとつだけ思ったことがありました。 博士が怪物に「生きていけ」と語りかけたシーンを見て、私はふと考えてしまった。
──きっと神様も私たちに「ちゃんと生きていけ」と言うのだろう。 そして、もしかしたらこう続けるのかもしれない。
「ついでに酒はほどほどにしておけ」と。
……はい、耳が痛いです。


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