はじめに(※ネタバレ注意)
本記事には、ディズニープラスで配信中の『インサイド・ヘッド2』の内容に触れる感想が含まれています。
未視聴の方は、本編をご覧になってから読むとより楽しめるかと思います。
ちなみに私は、例によってジントニック片手に鑑賞していました。記憶の精度が炭酸並みに弾けている可能性がありますが、どうか温かくご理解ください。
全ての感情が「ライリーの味方」だった
『インサイド・ヘッド2』を観て一番強く感じたのは、どの感情も主人公を思って行動しているということでした。
不安も、恥も、だるいも いわゆる“厄介そうな感情”に見える存在ほど、むしろ真剣にライリーを守ろうとしている。
感情って、時々こちらの足を引っ張る存在に見えます。
「余計なことを言わせる」とか、「勝手に落ち込ませる」とか、「今じゃないのに焦らせる」とか。
でも本作を観ていると、彼らは敵じゃない。
不器用で、暴走しがちで、たまに迷惑だけど、それでも目的はひとつ。
ライリーが壊れないようにすること。
「ライリーらしさ」は感情が決めていない
物語が進むにつれて行き着く場所が、個人的にすごく好きでした。
それは、ライリーらしさは、どれか一つの感情が決めるものではないという点です。
喜びが強いから明るい人になるわけでもないし、
不安があるから弱い人になるわけでもない。
怒りがあるからダメな人になるわけでもない。
感情は、オートで湧いてくる。
勝手に出てくるし、勝手に大きくなる。
ただ、最後にどうするか――どこへ向かうか――を決めるのは、感情ではなく自分自身。
この構造が、子ども向けの顔をしているのに、やたら大人向けでした。
感情を「殺してきた自分」に気づかされた
正直、観ていて少し居心地が悪くなりました。
というのも、自分は長い時間をかけて感情を殺してきた気がしたからです。
怒らないほうが楽。
期待しないほうが傷つかない。
喜びすぎないほうが後でしんどくならない。
そうやって、感情をコントロールするというより、感情を薄めて生活してきた。
でも、それもまた「自分らしさ」なのだと思います。
感情に振り回されるのも自分、感情を抑え込むのも自分。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、ふと気づかされました。
随分と感情が減ったな、と。
大人こそ刺さる続編
『インサイド・ヘッド2』は、子ども向けアニメの顔をしていますが、内容はかなり大人向けです。
不安が暴走する感覚。
自分を定義しようとして苦しくなる瞬間。
「こうあるべき自分」に縛られて身動きが取れなくなる感じ。
社会人をやっていると、身に覚えがありすぎて困ります。
子どもの頃にはなかった感情が増える。
しかも増えただけじゃなく、主張が強い。
でも、扱い方は誰も教えてくれない。
その状態で日々を進めるしかない。
本作は、それをちゃんと“感情たちの物語”として描いていました。
終わりに(ジントニックの話)
ちなみに、ジントニック片手で観ていた私の中の感情は――
たぶん全員、酔っ払っていました。
判断力は鈍り、やたら饒舌になり、最後は妙に仲良くなる。
不安も、喜びも、理性も、全員ちょっと酔って
「まあ、いいじゃないか」と言っていた気がします。
それもまた、今の私らしさということで。
感情も仕事放棄したようなので、よく寝れます。


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