はじめに(※ネタバレ注意)
本記事には、Netflix映画『スペースマン(Spaceman)』のネタバレを含む感想と考察が含まれています。
未視聴の方は、本編をご覧いただいてからお読みいただくと、より楽しめるかと思います。
ちなみに今回も、例によってお酒を飲みながら鑑賞していたため、記憶の曖昧な部分があるかもしれません。温かくご理解ください。
作品情報(ざっくり)
『スペースマン(Spaceman)』は2024年にNetflixで配信されたSFドラマ映画。
主演はアダム・サンドラー。コメディを期待すると肩透かしかもしれませんが、本作はかなり静かで内省的な作品です。
宇宙ミッションの只中にいる主人公が、孤独と向き合いながら「自分の人生」「夫婦関係」「存在の意味」を見つめ直していく──そんな映画でした。
ハヌーシュは実在したのか?
この作品が“難しい”と感じる最大の理由は、ここだと思います。
ハヌーシュ(謎の存在)は、本当にそこにいたのか。幻覚だったのか。
結論から言えば、どちらでもいいし、どちらでもあるのだと思いました。
主人公にとっては「実際にいた」。けれど、他人には理解できない。
この構造は、子どもの頃の夜驚症にも少し似ています。
当人にとっては確かに見えているのに、他人には何も見えない。
ハヌーシュは、孤独の中で壊れないために、ヤクブが生み出した“対話の相手”だったのではないでしょうか。
不安を吐き出し、言葉にし、整理するための存在。自己防衛であり、心の中の防波堤みたいなもの。
人は極限の孤独に置かれると、
・後悔
・罪悪感
・恐怖
・愛情(届かなかったもの)
そういった“処理しきれない感情”を、他者の姿にして対話し始めると思います。
ハヌーシュは、ヤクブが自分自身と対話するために必要だった「知性の仮面」だったのかもしれません。
そして、その仮面を手放せたとき、物語は終わります。
だからこの映画には、短い1時間半の中にちゃんと始まりと終わりがあるのだと思いました。
ハヌーシュの終わり方が、静かで痛い
物語の終盤、ハヌーシュはゴロムペッドに侵され、“宇宙のはじまり”へと溶けていくように消えていきます。
ここが不思議で、そして印象的でした。
ハヌーシュは身体を侵されながら、どこかでそれを受け入れているように見えました。
自分の終わりを悟っていて、受け入れる。
知性が高いというのは、こういうことかもしれません。
“終わり”を知ったうえで、それでも在り方を選べる。
強いのは知性じゃないのかも
それにしても、最後に残る強さって、知性じゃない気がします。
知能が高い存在でも、宇宙を理解していても、侵されるときは侵される。
結局強いのは、小型生物とか細菌とかウイルスとか、そういう“目に見えないもの”なのでは……と思ってしまいました。
映画『宇宙戦争』でも、結果として宇宙人が地球の○○に…
(おっと、話がズレました。失礼。)
終わりに
観終わって思ったのは、たぶん人は誰しも心の中に、
「自分にしか見えないハヌーシュ」を飼っているのかもしれない、ということです。
そして、もし私のハヌーシュが今ここにいたら、たぶんこう言うでしょう。
「今日はもう飲むのをやめて、ベッドへ帰れ」
……正論すぎて、何も言い返せません。


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