額縁の外側からずっと|第1作「我が子を食らうサトゥルヌス(Saturno devorando a su hijo)」

額縁の外側からずっと

フランシスコ・デ・ゴヤ
『我が子を喰らうサトゥルヌス』(1819–1823)
出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

※本記事は、筆者が公開情報をもとに個人的に調べ・考えた内容を含みます。 専門的・学術的な断定を目的としたものではありません。

眠れない夜に、暗くて、でも主張があって、 それでいて絵画として評価されているものはないかと思った。 そんな条件で辿り着いた一枚の話。

調べた理由

ホラー映画を観た後であった。より狂気的なものを見たい気分がどこか残っており、ただし、いかにもなホラーでは胸やけがするほどに困ってしまう。 暗いが、ちゃんと評価されていて、語る余地があるもの。

そうやって行き着いたのが、 フランシスコ・デ・ゴヤの 「我が子を食らうサトゥルヌス」だった。

この絵は、どんな画家が描いたのか

フランシスコ・デ・ゴヤ(1746–1828)は、 スペインの画家だ。 活躍したのは18世紀後半から19世紀初頭で、 日本で言えば江戸時代後期にあたる。

もともとは王室付きの宮廷画家として成功した人物で、 社会の中心にいた側でもあった。

しかし晩年、重い病をきっかけに聴力を失い、 戦争や政治的混乱を目の当たりにする。 そこから作風は大きく変わっていく。

ゴヤの特徴(ざっくり)

ゴヤはしばしば近代絵画の先駆けとなる画家の一人とも言われているらしい。 理由は単純で、きれいごとを描かなくなったからだ。

  • 権力や社会を皮肉る視点
  • 人間の醜さや愚かさを隠さない姿勢
  • 説明よりも感情や状態を優先する構図

特に晩年の作品は、 観る側を安心させる意図がほとんどない。 理解されることより、吐き出すことが優先されているように見える。

実物ではなく、画面で見ている

この絵を、私は実物では見ていない。 美術館の壁ではなく、検索結果の画像として見ている。

正直に言えば、実物を前にしたら、 おそらく長くは見ていられないと思う。 そういう種類の絵だ(プラド美術館が所蔵しているらしいが、チケットはいくらなのだろう)。

だからこそ、オンラインで見る距離感がちょうどいい。 視線を逸らさずに確認できるのは、画面越しの特権だ。

最低限の背景解説

サトゥルヌスは、 将来「我が子に殺される」という予言を恐れ、 生まれてくる子どもを次々に食らったとされる神だ。

この作品は、ゴヤ晩年のいわゆる「黒い絵」と呼ばれる連作の一つで、 もともとは自宅の壁に直接描かれていたという。

ルーベンスとの違い

同じ題材を、ルーベンスも描いている。 神話画として整理され、物語として理解できる構成だ。

それに比べると、 ゴヤのサトゥルヌスは説明を放棄している。 文脈を削り、状態だけを置いている。 だから、こちらが考えざるを得なくなる。

考察と感想

この絵は、一見すると「狂気」を描いたものに見える。 だが、見れば見るほど、単なる狂乱とは違う印象が残る。

もし本当に理性を失っているのなら、 目は虚ろになり、行為そのものに没入しているはずだ。 ところが、このサトゥルヌスはそうではない。

彼は、こちらを見ている。 しかもその目は、焦点が合っていて、異様なほど正気だ。 行為の異常さと、目の冷静さが、どうにも噛み合わない。

だからこの絵は、 「狂気に落ちた存在」を描いているというより、 狂気に落ちると分かっていながら、まだ分かっている状態 を描いているように見える。

さらに気になるのは、 すでに頭部が食べられている点だ。 顔があれば、目が合う。 顔があれば、相手が「誰か」だと分かってしまう。

そう考えると、 これは衝動的な破壊ではなく、続けるために、意図的に見ないようにしている行為にも見える。 感情を失ったからではなく、 感情を消さなければ続行できない状況。

行為そのものは異常だが、 構図は整理されている。 動きも、決して過剰ではない。 そこには、どこか「義務」のような冷たさがある。

将来、我が子に殺されるという予言。 それを避けるために子を食らうという行為は、 理不尽で、残酷で、救いがない。 だが同時に、理由が明示されている分だけ、 どこかで理解できてしまう余地がある。

その理解できてしまう感じこそが、 この絵を不快にしているのだと思う。 理解できない怪物より、 理解できてしまう存在のほうが、ずっと怖い。

「何を描いているか」よりも、 「どう感じさせるか」を優先している。 見る側に処理を委ねる構造になっている。

最後に

眠りにつく前、 私は冷蔵庫を開けてアイスクリームを取り出した。

気づけば、無言で、結構な勢いでむさぼり食っていた。 予言もなく、理由もなく。

もしかすると私は、 アイスクリームを食べていたのではなく、 アイスクリームに食べられていたのかもしれない。

そう考えると、この絵はまだ、 額縁の中に収まっている分だけ、良心的だ。

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