「チャットでは語れないこと」
ある日のこと。
「日本語は話せませんが、一生懸命働けます!」
そんな力強いチャットが、応募フォームに届いた。
文法的には少し拙いけれど、誠実でまっすぐな言葉。
顔も知らない応募者の真剣さが、画面越しに伝わってくるようだった。
ただ――。
実際、日本語がまったくできない状態では、
接客業や安全管理が必要な職場では難しいという現実もある。
せっかくの思いには心が動いたけれど、
こちらとしてはやむを得ず、こう返すしかなかった。
「今回は、業務上どうしても一定の日本語力が必要なため、
また別の機会にご縁がありましたら…」
いわゆる“お祈りメール”。
やんわりと、でも確かにお断りする文章を送った。
そしてまた別の日。
今度はチャットの日本語が驚くほど流暢な応募者。
敬語も自然で、漢字も正確。まるで日本人のような文面に、
「これは日本語力は全く問題なさそうだな」という印象を持った。
書類選考を通過し、面接へ。
だがZoomを開いて数分後、私は少し戸惑った。
あれ……?
あんなに饒舌だったのに、まったく言葉が出てこない。
返事は単語のみ。質問の意味もなかなか伝わらない。
文面との落差が大きく、別人のように感じられた。
今の時代、応募文面は翻訳アプリや生成AI、
あるいは日本語の得意な友人の手を借りれば、
「完璧」に整えることができる。
でも面接は、“今の本人のまま”が出る。
そして、文面が完璧であればあるほど、面接でのギャップが目立ってしまう。
私は決して、「チャットがうまいこと」が悪いとは思っていない。
むしろ、少しでも印象を良くしようと工夫してくれるのは嬉しい。
でもやっぱり――
どこかで、“自分で自分のハードルを上げてしまっている”ようにも感じてしまう。
多少つたなくても、自分の言葉で話してくれる人。
時間がかかっても、ひとつひとつ言葉を探して伝えてくれる人。
私はそういう姿に、心を動かされる。日本語だけでなくて、候補者の人柄や仕事への姿勢等も評価の対象にしているからだ。
「この候補者なら安心できそう」「任せられそう」とか、考えていたりもする。
だからこそ、チャットよりも面接が大事なのだと、改めて思う。
和歌でひとこと
飾らずに つたない声で 語ること
上手に書くより 胸に届きぬ
#採用のこと日誌
「採用ひとこと草紙」は、応募者たちの“ひとこと”から生まれる、ささやかな気づきを綴るシリーズです。
完璧じゃなくても、まっすぐな思いにこそ、人は動かされるのかもしれません。
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