『プラットフォーム(The PLATFORM)』を観て、胃がひっくり返りそうになった夜に
🍷はじめに(※ネタバレ注意)
※この記事には映画『プラットフォーム(The PLATFORM)』のネタバレを含む感想と考察が含まれています。
まだご覧になっていない方は、ぜひ映画を観たあとに戻ってきてください。
※ちなみに今回も、例によってお酒を飲みながら鑑賞していたため、記憶の曖昧な部分や感情的な解釈があるかもしれません。あしからずご容赦ください。
第1章:概要と前提(※ネタバレなし)
本作『プラットフォーム』は、スペイン発のSF系ホラー映画。
縦型の“監獄”のような施設「穴」の中で、階層によって食事環境が極端に変化する世界。上の階層は豪華な食事を取れるが、下にいくにつれて皿すら残らない。人間の欲望と社会構造を強烈に風刺する物語です。
第2章:自分だったら、どうする?
この映画、まず観てて思ったのは――
「自分があの“穴”に入れられたらどうするんだろう?」ってこと。
もし上の階層にいたら、そりゃ食べたいものは食べるよね。
自分が入る前に選んだ“好物”だってあるわけで、それを無理して我慢するなんて…もったいない。
だって、それが人間というものでしょ?
せっかく上にいるなら、その立場を楽しむのが自然ってもんです。
下に合わせる必要なんて、ない。
わざわざ不幸になりにいくことはない。
……うん、この構造そのものが階層社会の風刺なんだよね。
だからこそ、自分の感情すら問われてくる。
見てて、居心地が悪くなる映画。
第3章:考察という名の混沌
この映画、考察が難しい。
というのも、解釈が“いかようにも成り立つ”から。
私が特に気になったのは、「料理する側(=シェフたち)」の描写。
彼らは彼らで、本気で誇りを持って料理を作ってる。
例えば、皿に髪の毛が一本混入していた場面。
厨房では全員が並ばされて犯人探しになる。
つまり、料理人たちにとって、あの料理は芸術品レベルのプライドの産物なんです。
でもね、それを“下にいる人間”が、ぐちゃぐちゃにして、踏みつけて、ぶちまける。
それでも作り続ける上側の姿って、どこか政治っぽいと思いました。
🔁 政治的な示唆もある
この“穴”の構造って、一種の政治体制のメタファーでもあると思う。
333層=666人という数字。悪魔的だし、地獄の比喩にも思える。
その中で「秩序」を維持しようとする仕組みがあり、
下の者はルールが多いからわからないし、上側(運営・政治)はルールを守っていないというメッセージもある。
これは現実の政治とも重なる部分で、
「国民には法律を守れ、税金を納めろ」と言うのに、
政治家は公約も守らない、説明責任もしない――みたいな、そういう皮肉もあるのではないでしょうか(政治の世界はしらないので、わからないのですが)。
🍽️ 穴の論理を崩す“もしも”
ちょっと別視点で思ったのは、
「このシステム、最初から崩す方法あるんじゃない?」ってこと。
あの“入所時”、みんな「好きな食べ物を1品」って設定なんだけど、
それ、量を多めに指定すればいいのでは?
(例:ビュッフェ形式のコースを一皿、とかね)
まあ、一人分しか来ない仕様なのかもしれないけど、
皆が「自分の分だけ」で満足するから、結果としてこの“穴”の論理に従わされていく。
従わされてるようで、従ってるという構造。
エスカルゴ一皿って…冗談かよと思った人、多いはず。
🧒 子供とパンナコッタの“メッセージ性”
そして、クライマックス。
パンナコッタを“伝言”として送り返す、というアイディア。
あれってつまり「この料理、要らない」というメッセージ。
シェフたちのプライドを否定し、料理芸術への“拒否”という抵抗の形。
これはめちゃくちゃ痛快だった。
でも、それすら最終的に送ってない。
じゃあ“何”を送ったのか?――子供なんですよね。
本来、子供は“穴”には存在しないはず。
つまり、運営がルールを破っていたという証明になってしまう。
「上は秩序を求めているが、自ら秩序を破っている」
だからこそ、“子供を送り返す”という行為こそが最も有効な伝言になる。
こんな皮肉、あるか?
厨房の総責任者みたいな白髪の男、たぶんブチギレてるよね。
🎭 おわりに
というわけで、全体としては、
- 階層社会についての風刺
- 資本主義の食い合い
- 政治的な批判
- 人間性の試練
が一皿に盛られた、濃厚な映画でした。
観たあと、なんとなく自分の冷蔵庫を見て、
「私も誰かの分、奪ってないか?」と
ちょっと思ってしまったのは、内緒です。
▶️ 映画予告編(公式トレーラー)
🎬 最後に一言。
明らかだ。
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