『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観た夜に
🍷 はじめに(※ネタバレ注意)
※本記事には映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(Extremely Loud & Incredibly Close)』のネタバレを含む感想が含まれています。
まだ未視聴の方は、ぜひ本編をご覧のうえでお読みいただけると、より楽しめるかと思います。
※ちなみに筆者(私)はワイン片手に鑑賞していたため、内容に多少の記憶違いがあるかもしれません。温かくお許しいただければ幸いです。
🎬 第1章:まずは概要(ネタバレなし)
2001年9月11日――アメリカ・ニューヨーク。
この映画は、同時多発テロで父親を亡くした少年・オスカーの物語。
彼はアスペルガー症候群の傾向があり、他人とのコミュニケーションが得意ではない。そんな彼が、父の遺品の中に見つけた一本の“鍵”と“謎の封筒”をきっかけに、ニューヨーク中を歩き回りながら、その鍵の“鍵穴”を探し続ける。
旅の途中で出会う人々。交わされる会話。そして少しずつ変化していくオスカーの心。
これは、喪失と成長の物語。
静かで、けれど深く揺さぶられる映画だ。
🔍 第2章:ここからネタバレありで語ります
この映画、とにかく不思議なタイトルですよね。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」って、何のこと?
観る前は、音の話なのか、物理的な距離のことなのかと思っていましたが、観終わったあとに感じたのは――これは“誰かの存在”を指しているんじゃないかということでした。
そして私はそれを「母親の存在」だと解釈しました。
👨👩👦 父と息子の「完了しない宿題」
主人公・オスカーと父親は、とても仲が良い関係でした。
父は息子に、ちょっとした謎解きの“宿題”をよく出していた。
だからこそ、父が亡くなったあと、部屋の中で見つけた鍵と封筒は、まるで最後の宿題のように感じられたのだと思います。
オスカーはその鍵に合う鍵穴を探すべく、何百人もの「ブラックさん」を訪ね歩く。
それは、亡き父の声をもう一度聞きたいという想いであり、悲しみから逃げないための行動でもありました。
けれど、その宿題を提出すべき相手――父はもういません。
宿題は完了するけれど、完了しても、父はいない。
👩👦 そして気づく、「うるさいほど近い」存在
一方、母親との関係はというと、序盤はとにかくすれ違いばかり。
口うるさく、感情のすれ違いが続き、オスカーにとってはまさに「うるさい存在」だった。
でも、後半にかけて、少しずつ分かってくる。
母はずっと、オスカーの背中を見守っていた。
表に出さないやり方で、息子を支えていた。
それを知ったとき、私はこう思ったのです。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」存在――それは、母だったんじゃないか。
反抗し、遠ざけていたつもりが、
実は一番近くにいて、うるさいくらいに愛してくれていた存在。
🗝️ 最後の手紙、そして「帰る先」
映画のラスト、父からの手紙の中で「〇〇に帰りなさい」と言われるシーンがあります。
その言葉の意味を、オスカーは静かに受け止めて、帰る。
でも、帰った先にあったのは、単なるゴールではなかった。
それは、答えよりも大切な“継続”だったのではないかと私は感じました。
鍵が開けたのは、扉ではなく、
少年の心であり、母との関係であり、これからも続いていく日々だったのかもしれません。
🎞️ 第3章:おわりに
父を想って旅に出て、母と向き合って帰ってくる。
そのプロセスこそが、オスカーにとっての「成長」であり、
映画を観る私たちにとっての「問いかけ」でもあるのだと思います。
あなたにとって、“うるさくて、近い存在”は誰ですか?
これを読んでいる今も、ちょっとうるさいLINEが届いているのではないでしょうか。
▶️ 映画予告編(公式トレーラー)
📺 YouTube公式予告はこちら:
https://youtu.be/MnUdMmm3JKw
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